2007/10/03

9月15日 <旅行前日>

*****H19年9月15日(土)*****

明日からアメリカ西海岸のロスへ行く。

末の弟家族6人が7年前からロスに赴任しているが、今年で帰ってくるという。
前々から一度遊びに来るように言われてはいたが、なかなか行けずにいた。
しかし、とうとう今年が最後になるということなので、家内と一緒に行くことになった。

ロスへ行くのは家内は初めてだが、私は3回目だ。
最初は20数年前にコンサルタント会社の研修で、2回目は10数年前にTシャツの仕入れにロスへ行った。
そして今度は初めて『旅行』という目的だけでの訪問だ。

<赤いラインが我々が移動したフリーウェイの道程。往復・約2000キロを左回りで一周した。>

ただ、数日前から家内の体調が思わしくなかった。
扁桃腺を赤くして、咳き込んでおり微熱が続いていた。
それが、15日(旅行前日)になってほとんど治ってしまった。

今回の旅行は、昨年の結婚30周年記念のクロアチア旅行と同じく言葉の問題がほとんど無いのがありがたい。前回は現地に先輩が赴任されており、今回も同じく弟がおり、言葉には全く不自由しないからだ。

さあ、明日からが楽しみだ。

9月16日 <セントレア⇒成田⇒L.A.>

*****H19年9月16日(日)*****

今日からアメリカ旅行が始まる。

朝5時半に目覚めたが、大粒の雨が降っている。台風11号の影響による雨だ。
だが、台風自体は東海地方には近づいてはおらず、済州島の南を北進しているという。
家内の咳もなく、雨に濡れて出発する以外は、お陰様で支障はない。ありがたいことだ。

11時になった。雨も小降りになり、車にトランクを積み込んだ。
次男に金山まで送ってもらう。
名鉄電車に乗ってセントレア(中部国際空港)へ行き、ANAの窓口へ行く。

ANAの国際線窓口はまだ閉まっていたので、仕方が無いのでANAの案内所へ行く。
そこで私の大きな勘違いに気がついた。
てっきり名古屋で通関し、通関後に成田へ向かうと思っていたが、実際は名古屋と成田間は国内線で、成田で通関することだった。
搭乗の2時間も前に来ることは無かったが、でもあっと言う間に成田行の飛行機の出発時間になった。

セントレアでの搭乗手続きが終わり、搭乗口に向かう。
我々は成田で通関があるが、荷物はこのままロスまで直行だ。


今回は普通の搭乗口ではなく、バスに乗って飛行機に向かうという。
ということは、小型のジェット機なのかな? と一瞬思った。
だが、バスが横付けしたのは、こんな飛行機がセントレアにいるのが不思議に感じるほど小さなプロペラ機だった。何しろ搭乗人数が60人ほどの機体だった。国内のローカル線に使用している機種だろう。

<セントレアから成田行き>





搭乗してCAさんに成田での乗り換えのことを質問した。
この機の EXIT は3階なので国際線は4階まで行けばいいそうだ。でも到着からロス行きのANAの出発まで1時間しかない。急いで通関することが肝要だ。

現在、伊豆半島の上を通過し、前方に伊豆大島が見えている。
天候もよく、成田からは快適な旅になりそうだ。

成田空港でLAへの搭乗手続きを済ませ、通関をし、ANAに乗り込んだ。
今度は、左右3席ずつ、中央にも3席の合計9席だ。
前にはモニターが付き、昨年乗った航空会社の飛行機より広く格段にいい。
食事もおいしいし、デザートにハーゲンダッツのアイスクリームが付いていたのがまたうれしい。またもや完食。
早速、持参した「水滸伝・第六巻」を読み出す。

だが、食事前に少し時間があったので軽めの映画を見ようと「スパイダーマン3」を見てしまった。
途中で中断する方法を知らないので、食事中も食後も見続けることになった。
ワンパターンだが、結構楽しめた。
本当は、「市民ケーン」を見ようとしていたがプレミアム上映だったので観ることは出来ないのだった。結局、今回の旅行中は本を読破する時間はこれ以後全くなかった。
昨年は往路に一冊読み終えたのに・・・。
日本時間の午前2時過にLAに到着する。
そろそろ寝ないと明日がこたえそうだ。

去年、結婚30周年でクロアチアへ行った時に乗った飛行機の冷房の効き過ぎにはまいったので、長袖を何枚も用意したが、ANAはエアコンの効き方も丁度よい。暑くも寒くもない。
ANAのCS(Consumer Satisfaction)対応や社員レベルの高さや教育マニュアルもしっかり出来ているのかもしれない。
もう午後10時です。おやすみなさい!

と、少し寝かかったが、すぐに目が覚めてしまった。
1時間半ほど小刻みに眠っていたら、外がうっすらと明るくなってきた。
日本時間ではまだ間夜中の12時。日本とは時差が18時間ある。
つまり、今はLAの時間では、16日(日)の朝8時だ。あと2時間ちょっとで、LA国際空港に到着する。

ザワザワし始めたと思ったら、朝食タイム。
そして、LA空港に到着した。

入国審査では、アメリカの現実を見せ付けられた。
テロ警戒のためだろうか、両手の人差し指のスキャン。そして、顔写真も撮られる。
無事通過し、荷物を取り出し、出口に向かう。出口では、弟が所用で出迎えできないので、弟の奥さんと次男次女が出迎えてくれた。
会ってびっくり、次男が弟と瓜二つ。絶対間違えない。

LAは思っていた以上に涼しい。18度だという。LAは暖かいという印象があるので、日本と同じ位の30度ぐらいかと思っていた。今日は、最高でも23度だそうだ。
しばらく歓談の後、シャトル乗り場に案内してもらう。



シャトルは、DOOR TO DOOR の乗合バンだ。
奥さんは車でダウンタウンに乗り入れた経験が無い上、フリーウェイを運転するのは危険なため、我々2人だけでシャトルに乗ってダウンタウンにある「ミヤコホテル」まで向かうことになった。
15分ほど待ってブルーのシャトルがやって来た。
ここで、あさってまで奥さんたちとは、しばらくのお別れ。



<LA空港からのシャトル>




シャトルはLA空港から色々な地域に出ている。我々の乗ったシャトルは、8人乗りのバンだが誰も乗っていない。ラッキーと思ったのは浅はかだった。
LA空港はこんなにも広いのかと思うほど、空港の至るところに乗り場があり、そこで客を次々拾う。
5~6ヶ所止まっては乗客確認をしていたが、不思議なことに先程我々が乗った場所にまたやって来て客を乗せている。
つまり、満員になるまでグルグル廻った後で目的地に向かうシステムだったのだ。
しかも、ホテルだけではなく、同方向なら自宅までも送ってくれて降ろしてくれる。フリーウェイを降りたと思ったら、女性客を自宅まで送っている。そして、またフリーウェイに乗った。
これで、一人16ドル+チップ。



我々が宿泊する「ミヤコホテルL.A.」は、リトルトーキョーにあり、日本の「都ホテル」の系列ホテルだ。、
ホテル内の通路には、リトルトーキョーの戦前・戦後の歴史的写真がパネルにして並べられている。
日本人移民の歴史がここで見られる。

8階の部屋からは階下にリトルトーキョーの店舗が見える。眼下に見える日本食レストランに次々と人が入り、行列もつくっている。よほどおいしいのか、雑誌などで紹介された有名店なのだろうか?


<ホテルの部屋からリトルトーキョーを望む>




家内は、寝不足のため、チェックインの後、ベッドで眠ってしまった。私一人がこの旅行記を今書いているという状況だ。

夕方5時になったので、どこかへ夕食に出かけようと思ってなんとなくテレビをつけたら、昨晩日本で見逃したNHKの大河ドラマ「風林火山」をやり始めた。まさかLAで大河ドラマを見るとは思わなかったが、結局最後まで見てしまった。
テレビを見ても日本語だし、外へ出ても日本人街、そして日本人の旅行客ばかりで、今本当にLAに来ているのか不思議に感じる。
リトルトーキョーを散策した後、食事も日本食レストランでうどんを食べ、ヤマザキでパンを買い、そしてコンビニで水を買う。全く日本にいるのと変わらない。

ホテルで、明日の7時間LAツアーの確認をする。
9時50分集合、17時解散だ。もしかしたら、ツアー客は日本人ばかりかもしれない。

部屋に戻り、風呂に入り、洗濯をする。明日もう一晩、ここに泊まる。
洗濯も連泊するからできる。いつもよりかなり長かった日曜日もやっと終わり。

      おやすみなさい!

9月17日 <L.A.ツアー>

*****H19年9月17日(月)*****

よく寝た。朝7時ころまで寝てしまった。

テレビをつけたら、NHKの連ドラ「どんど晴れ」をやっている。
朝食は、ホテルのバイキング。どこも同じようなものだ。ご飯はパサパサしているが、結構うまい。ベタベタしたご飯が好きでない私にとってはおいしい朝食だ。

9時50分。ツアーの集合時間。
ミヤコホテルからは我々2人と女性1人。そして、ホテルニューオータニからもご夫婦2人の計5人でのツアーだ。これくらいが丁度いい。

最初の観光は、LAに初めてやって来て入植したという家族の家だ。
メキシコから初めてやってきたという割には、立派な家だ。周りはメキシコ村という感じになっている。土産物の屋台がずらっと並んでいる。


次に向かったのが、ドジャース・スタジアム。
今日は試合が無いが、観光だと自由に入れるようだ。5万人以上が入れるというが、一番上から見ている限りそれほど大きいとは思えない。それでもグランドから客席の一番上まで、数十メートルはある。駐車場も限りなく広い。
男性用のトイレに入ったが、小をする所が分からない。
でも、同行の方に教えていただいた。まるで小学校にあった手洗い所のようだ。ただ、蛇口が無いというだけだ。ここで横に並んで用をたす。

<ドジャース・スタジアムのグランド>

次に向かったのが、マリナ・デル・レイ。世界一のヨットハーバーだ。1万隻以上のヨットが係留されているそうだ。きれいな港だ。アザラシやペリカンもカモメに混じって泳いでいる。





<マリナ・デル・レイのハーバー>



サンタモニカへの途中、ベニスというところに寄る。
ここへやって来て、なぜベニスという地名なのかという意味がよく分かった。街中に運河が張り巡らされているのだ。でも運河といっても水深は数十センチしかない。ボートしか通れないほどの深さだ。


<ベニスの運河>




サンタモニカは、砂浜のきれいな海辺だ。
ここの近くのショッピングモールの中にあるフードコートで昼食タイム。ケバブとサンドイッチを食べる。スモールを注文したが、丁度2人分の量だった。コーラも同じだ。
<サンタモニカのビーチ>

次は、ビバリーヒルズ。
世界中の一流ブランドが並んでいるロデオドライブのブランドショップを、車の中から見る。
そして、世界のセレブが住むという高級住宅街の並木道では、降りて写真を撮った。


次にチャイニーズシアターへ向かう。
ここで、有名スターの足型と手型を見る。ジョン・ウェインの足の小ささに驚く。女性の足と見まちがう程の小ささだ。手も小さいのでグーの形になっているそうだ。
今、子供たちに人気なのは、ハリー・ポッターの主人公たちの手型・足型だそうだ。弟家族も見にきたらしい。
隣のコダックシアターのビルは、アカデミー賞の受賞会場で有名だ。当日は赤絨毯が敷かれ、スターがその上を歩いて会場に入るそうだ。

<ハリーポッターの主人公達の手形・足型>









<コダックシアターからHOLLYWOODの文字>






本当は、ツアーはここまでで終了となるのだが、買物の無かった我々は、観光時間が余ってしまったようだ。そのため、急遽LA全部が一望できる山の中腹にある展望台に向かう。少しモヤが出ているが、LA全部がよく見える。


<ハリウッドにある展望台からLA市街を望む>


帰りのフリーウェイでは少し渋滞したが、5時にホテルに帰ることができた。一人75ドル。計150ドル。
ホテルで、弟の友人の女性支配人に挨拶。
メールでは何度もお話したが、お会いするのは初めて。弟とはかなり古くからの知り合いだし、元をたどれば二番目の弟がLA駐在時代からの知り合いだったそうだ。

今夜の食事は、ミヤコホテルの裏手にあるイタリアン・レストランを紹介していただいた。
早速その店に行って、ピザとスパゲッティを注文したが、結構おいしかった。食べ初めから食べ終わるまで我々2人だけの貸切状態だった。今夜は満足!

    おやすみなさい!

9月18日 <L.A.近郊>

*****H19年9月18日(火)*****

昨晩はなかなか寝付かれなかった。
エアコンをつけなくても前の夜は良かったが、昨晩は少し暑かった。
窓を開けると冷たい空気が入ってくる。やはり外はかなり涼しいのだ。
外は、暗闇の中を数人が歩いている。治安はどうなのだろう。
しばらく横になっていると、いつの間にか眠ってしまった。

7時前に目が覚めた。
昨夜洗濯した下着やTシャツがまだ湿っている。部屋に備えてあるアイロンとアイロン台を取り出してアイロンかけをする。これでかなり湿気が飛んだ。

朝食は前日の朝食バイキングは止めて、1階の喫茶コーナーに行く。クロワッサンサンド、クラムチャウダー、コーヒーのスモールを頼む。13ドル。これで2人分。量は丁度いい。

9時半に弟が迎えに来た。トヨタのミニバンだ。
それから、弟の自宅に向かい、奥さんを乗せて海岸のおしゃれなレストランでの昼食に向かう。
















<ガラスの教会>



その途中にある「ガラスの教会」に立ち寄る。ここは松田聖子さんが結婚式を挙げた教会だそうだ。
天井も壁も総ガラス張りで明るい。庭の緑もきれいだし、海の見えるおしゃれな教会だ。外のレンガの通路には、ここで挙式を挙げた人たちの名前が書き綴られている。



食事のため、ゴルフ場の中にあるレストランに向かう。
ここはあのトランプタワーで有名な大富豪のドナルド・トランプ氏の経営するゴルフ場の中のレストランだ。

<ゴルフ場の玄関>

丁度、グリーンでは映画の撮影をしていた。数十人の撮影クルーがさまざまな重機や音楽機器を並べ撮影の真最中だった。


レストランでランチを御馳走になった。
ムール貝のトマト煮と白身魚のマッシュポテト添え、サンドイッチ付きだ。
結構おいしくて、おなか一杯になった。


<ランチ>





食後、ゴルフ場の庭を散策。真っ黒なゴルフカートにゴールドでゴルフ場の名前が印刷してある。
これもトランプ氏のおしゃれなイメージを表しているのだろう。


<ゴルフ・カート>



庭から見る太平洋はすばらしくきれいだ。
また、近くのリゾート住宅の立ち並ぶ地域も散策。住宅がすばらしい。





<グリーンと太平洋>



その後、買い物のためショッピングモールやオーガニックを扱うスーパーマーケットに行く。
オーガニックスーパーは結構高いが、安心を買うためにはしょうがないのだろう。ここで、旅行中食べる果物や飲み物を買う。
そこで買ったぶどうは絶品。皮は薄く種もないので、そのまま食べられる。
日本のぶどうのように皮が厚くもなく、甘みも強くない。グッドテイスト!

<オーガニック・スーパー>

ホテルへの道路で、日本では絶対にありえないナンバープレートを見つけた。

<♥4U>・・・LOVE FOR YOU と意味だと思う。日本で言う、語呂合わせだ。

<ナンバープレート>

今夜泊まる「ベストウェスタンホテル」にチェックイン。
このホテルは、全米でかなりのチェーン店をもったホテルだそうだ。アメリカでは一般的な、モーテルというホテル形態で、車から降りてすぐ部屋に入ることが出来る。だから、失敗もあった。それは、後ほど・・・・。

その後すぐ、弟の家でのウェルカムパーティ(バーベキューパーティ)に、招待される。
部屋にはアメリカ家庭によくあるような家族の写真が飾られている。
長女は現在日本で大学生活、長男は受験で日本滞在中だ。
アメリカには次男と次女だけがいるが、すごく明るくて好感の持てる子供たちだ。
これもアメリカで育った良さだろう。

庭に出て早速火を起こし、肉や野菜、魚介類を焼き始める。
アメリカの焼肉もうまい。ズッキーニの鉄板焼きも初めて食べる。
一見ハンペンのような形をした、野菜とヒマワリの種をまぶしたハンバーガー用の野菜パテをいただく。初めて食べたが、結構うまい。
庭は、虫もいないので快適だ。真っ暗になるまで、楽しんだ。

明日はネイティブアメリカンの聖地<セドナ>に向かう。

朝6時の出発だ。弟の運転だが、片道8時間もかかるので私も国際免許証を取得してきた。
明日の朝が楽しみだ。別のアメリカに出会える。

10時半に就寝。

   おやすみなさい!

9月19日 <L.A.⇒セドナ>

*****H19年9月19日(水)*****

昨夜、弟の家からホテルの部屋に入って、窓を開けようとして驚いた。

駐車場に面する窓が網戸のままになっている。鍵もかかっていない状況だ。お陰様でカーテンがしてあったので盗難はなかったが、気をつけないといけない。通路側に窓のあるホテルなど、初めてだ。

我々の泊まった「ベストウェスタンホテル」には朝6時に弟が迎えに来るが、あまり眠られない。
2時間おきに目が覚める。

6時に弟が迎えにきた。モーテルなので、ドアのすぐ前に車が停まる。便利だ。
早速、聖地<セドナ>に向かって出発。真っ暗な道を進む。
1時間ほどLA近郊のフリーウェイを走る。こんなに朝早いのにもうLA方面行きは大渋滞だ。弟の話によると、2時間ほどかけて通勤してくる人もかなりいると言う。
日本、特に東京ではよくある話だが、それも電車通勤での話だ。
毎日車を運転しながら片道2時間の通勤は辛い。LAの住宅事情が悪いため、アメリカの男性も日本人以上に辛い生活をしていると感じる。

しばらくすると我々も渋滞に巻き込まれた。普通LAから外へは、混まないはずなのにおかしいそうだ。
でも、CAR POOL FREE というありがたい仕組みのお陰で一番内側の道路をスイスイ走れる。
10号線と合流すると渋滞は解消した。工事の影響だった。




<CAR POOL FREE>
<複数の人が乗った車だけ走れる優先道路>



この10号線はフロリダまで続くという。おそろしく長いフリーウェイだ。
10号線に乗ってアリゾナのフェニックスまで進む。
6時間ほどかかる。そこから北上し今日の目的地セドナに向かうのだ。フェニックスからは2時間ほどだそうだ。LAからセドナまで500マイル(約800キロ)の道程をフリーウェイでひたすら走る。
名古屋からだと、東へは東京経由で青森辺りだろうか?西へは、宮崎辺りだろうか?気の遠くなる距離だ。時速75マイル(120キロ)で、ノンストップ走行だ。渋滞も全くないすばらしい走行だ。



しばらく走ると、周りに風車が見え出した。風力発電の風車だ。日本でも風車はあるが、せいぜい数十という世界だと思う。今ここで見ている風車は、一千機以上もあるだろう。 SFのアニメに出てくるロボットが手を廻しているように見える。かなり異様な風景だ。気持ちが悪くなってくる。





<左右に広がる風車の群れ>




2時間ほど10号線を走った後、弟と運転を交替した。
今まで私は、左ハンドルの車を運転したことはないし、もちろん右側の道路を運転したこともない。
でも、往復20時間ほどの運転を弟一人に任せる訳にはいかないので私も運転することにした。

日本での運転との違いは、極論するなら、ウィンカーとワイパーが逆になっているだけで慣れればそれほどの支障はない。と、思っていたが、やはり慌てると操作を間違える。



最初は走行路線だけを走っていたが、トラックが55マイル(88キロ)で規制されているので、どうしても追い越し車線に入らなくてはいけない事態が起こる。
その時、左ウィンカーを出そうとして右のレバーを触ってしまい、ワイパーが突然動き出す。やはり左脳で運転しなくてはいけないようだ。
制限速度75マイル(120キロ)で、2時間ほどアメリカのフリーウェイをどんどん走る。



アリゾナ州に入り、まわりにサボテンが目立つようになってきた。
フェニックスの手前で、弟と再度交替。フェニックス付近では、フリーウェイが交差してくるので、初心者には無理だからだ。
私が運転していた2時間ほど、全くブレーキを使っていない。ミラー越しに後ろを見ても、追い越し車線は車の姿が全く見えない。走行車線を走っている車を追い越すだけだ。
渋滞らしきものは全くないということだ。こんな体験は、日本ではありえないかもしれないと思った。
この10号線は、アメリカでもメインのフリーウェイだ。やはり、車の数と道路とのバランスがいいのだろうか。 <サボテン群>


日本の高速道路は盛り土をして造った道路だが、このフリーウェイは日本の一般道のように平地にそのまま出来ている。信号なしで、道がずっと続くのが不思議だ。

平日なのか、乗用車よりもトラックの方が、圧倒的に多い。
こちらのトラックは鼻が長い。日本のトラックのような、のっぺらぼうの顔とは全く違う。
この旅行中、のっぺらぼうのトラックはたったの1台しか見かけなかった。
それにしても、アメリカのトラックは本当に格好いい。

お昼には、車を運転しながら、弟の奥さんが作ってくれたおにぎりをいただく。
塩加減もちょうどいい。おいしい。



フェニックスから北に向かい、しばらく行くとだんだんと土が赤みを帯びてきた。はるか向こうの山々の赤の部分が増えていく。ゴツゴツした山々が辺りに増えだした。






<だんだんと赤みを帯びてきた岩山>




ようやく<セドナ>に到着。
午後3時。出発から9時間が経過している。
今夜のロッジを目指す。本線道路から外れ、細い道に入る。






<セドナの岩山を望む>



目指すロッジに到着。おしゃれなロッジだ。オフィスでチェックイン。
スピリチュアルな人が大勢来られる土地なのだろう、ここの女性主人もかなりスピリチュアルな人だ。
弟がこの女性と話し合っている。
こちらは意味不明だが、かなり気が合っているようだ。
弟が名刺を差し出し自己紹介を始めた。
女性の薦める本を借りている。日本でこのセドナを紹介した記事が載っている。
部屋は、長期滞在が可能なように調理設備も整っている。1泊はもったいないのかもしれない。
夕食にはまだ早いので、いろいろな岩山を見てまわることにした。 <ロッジ全景>


ベルの形や聖堂の形、スヌーピーの形をした岩山がセドナの街を囲んでいる。
岩山の裾に停車して少し散策。赤土の大地だ。
頂に教会を造ってある岩山もある。ここにも観光客が大勢来ている。




<色々な形の岩山>





<セドナの岩山>


山の頂上が平面になっている岩山がある。この山の頂上にエアーポートが造ってあるそうだ。
このエアーポートに行く途中に、20メートル程の高さの小山がある。この小山はエアポート・メサ(テーブルの意)とい名前で、スピリチュアルスポット(ヴォルテックス)の一つと言われている。エネルギーの高いといわれる地点だ。
この小山に上る。数分で頂上に着く。セドナの四方が見渡せる場所だ。遠くに見える岩山の断層(一番上の方が普通の土色、下の方がこの地方独特の赤茶色)がよく見える。
それぞれの岩山がオンリーワンを主張している姿が美しい。
明日の朝、この小山の頂でご来光を拝む。
<ヴォルテックスを登る>



そろそろ夕食の時間。スペインの屋敷をイメージした建物(モール)があり、その中に数多くのアートのお店と1件のレストランを見つけた。
このレストランはメキシコ料理の店だ。ここもおしゃれなお店だ。





<メキシコ風のモール>



コンビネーション(一皿の上にメキシコの定番料理を盛付けたもの)を注文。
料理の前に出て来たコーンのチップに「サルサ」という、野菜とトウガラシの和え物を付けて食べる。
少し辛いがうまい。コンビネーションもタコスとビーンズとチーズがメインだ。





<コンビネーション>



午後8時頃、ロッジに向かう。
もう真っ暗闇なので、ロッジを見つけるのは大変だった。昼間にチェックインしておいてよかったと感じた。
弟が持ち込んだビールで乾杯。こちらのバドワイザーのビンの栓は栓抜きではなく、栓を手で捻って開ける。
いとも簡単に開く。日本では私は見たこともない仕組みだ。

明日の朝は、6時出発。疲れたので早めに就寝。

     おやすみなさい

9月20日 <セドナ⇒グランドキャニオン>

*****H19年9月20日(木)*****

今朝も5時起床。

昨夜も2時間おきくらいに目が覚める。まだ時差ボケがあるのだろうか。
目覚めた5時はまだ真っ暗。6時出発といわれていたが、当りが急に明るくなってきたので急遽出発。
10分くらいで、昨日登ったヴォルテックスの岩山に登る。


到着したら、もう3台の車が、駐車している。

岩山に登って見ると、数人の人達が座って東方面を見ている。その内の4人が日本人。我々と合わせると7人。
結局、半数以上が日本人だった。不思議な世界だ。日本人とは不思議な人種だ。




<頂上にて、日の出を待つ>





辺りは明るくなってきた。周りの山々に日の光が当って陰影がすごく美しい。

でも、ご来光はまだ拝めない。


<日の出前なのに、周りの山々には朝日が当たっている>




頂上に着いて30分ほど経って山の稜線から太陽が昇ってきた。

朝日は眩しくないといわれるが、確かにそれほどの眩しさを感じない。私はずっと太陽を見つめていた。



<太陽が稜線から上がり始めた>





弟は朝日に向かって手を合わせている。 目をつぶって瞑想している人達もいる。 不思議な光景だ。

日本で<初日の出>を見ているような感覚だ。


<頂からご来光を拝む人達・インターナショナルの光景だ>



山を下り、ロッジに戻る。

帰り道にあるマクドナルドに寄って、コーヒーをテイクアウトする。

このマクドナルドの<M>のマークはグリーンだ。グリーン・マックは世界でここだけ>だそうだ

環境を意識した店という意味合いもあるという。

<グリーン・マックの看板>


ロッジでコーヒーを飲みながら朝食。食事後、周りを少し散策する。本を返却して、チェックアウト。



これからセドナをトレッキングする。
川辺の駐車場に車を停める。









<パーキング・エリア>





せせらぎにかかった飛び石を踏んで向こう岸に渡る。赤茶色の石に混じってブルーの石がある。きれいだ。しばらく川沿いに歩くと分岐点にきた。







<山裾のせせらぎ>



















<せせらぎから岩山を望む>



右はゆったりコース。左はキャスデラルロック(聖堂)ロックへのコース。 家内は右のコースが良いと言うので右のコースを1時間ほど歩く。

緑の美しいコースだ。





<トレッキングの途中からの眺め>
















<登山道脇のサボテン>



分岐点に戻って来て、まだ時間があるので左のコースも行くことにした。しばらく歩くと散策道から山道になり始めた。

<分岐点の立て札>

30分ほど歩くと急に岩山が急勾配になりだした。
朝、岩屋でご来光を拝んだ日本人女性3人と出会う。
ロス在住の女性が東京からの女性2人を引率している。日本女性のバイタリティを感じる。












<キャサデラルロックを望む>

<この左の山の途中まで登った>





山の中腹まで来た。ここで家内はギブアップ。我々は、荷物を家内に預け、兄弟2人で急勾配を登り出した。しかし数分後、私は後悔をし始めることになる。

<ここまで登った>


岩肌が滑らかで手でつかむところがないので本当に登るのがつらい。また、崖はかなりの勾配があるので、後ろに引っくり返ると滑り落ちて大ケガをする。




<セドナの岩山でよく見かけるねじれた樹木>


岩山を両足でしっかり踏み締め前に重心をかけながら登る。足を引っ掛ける一段一段もアメリカ人のつくった足場のせいか、かなり高さがある。後ろを見て、帰りはどうやって降りたらいいのかと思案。ここまで来て、もう戻ることができないので次の踊り場まで恐怖を感じながらグングン登る。

上からは、子供連れの家族が降りてくる。みんな元気だ。
こちらは、危険を感じながら登っているため、後から登ってきた人に先を譲る。
日本では、登り道に鎖を付けたり危険区域に柵を作ったりして事故を無くす努力が見られるが、ここアメリカではすべて自己責任なのだろう。事故があっても、訴えないのだろうか?

2つ目の踊り場で私はギブアップ。
ここまでは、弟一家がかつてチャレンジした最低地点。
そこから弟は一人で登りだし、次の踊り場まで登っていった。
以前、弟家族がここに来た時、弟の長男次男は、まだそこから更に次の踊り場までチャレンジしたそうだ。若者はすばらしい。


恐ろしいと思った下り坂も、初めに感じた恐怖感は全くない。人間の心理は不思議だ。恐ろしいと思った瞬間に足は動かなくなるが、その心理が外れた途端、スーと楽になる。家内のベースキャンプまで、難無く降りて来られた。









<岩山を下りるのも命賭け>





このセドナの土地の紫外線はかなりきついのだろう、周りの景色や石、土、木々などが異次元の世界を創っているように全く違った色合いを感じる。
家内の服は緑色かかったベージュ色だったが、私の目にはライムのような鮮やかや緑色に見えている。
麓で見たブルーに光り輝いていた石も、目が正常に戻ってくるとなんでもないただのグレーの石ころだった。まさに異次元空間を感じるとはこのことだろうか!
今考えると、サングラスなしで紫外線の強い屋外にいたため、目が幻覚をおこしていたのだろう。

<スカイブルーとグリーン>




下り道で自転車で下ってくる人、登ってくる人に出会った。この山道を自転車で登り下りするのは我々には信じ難い光景だ。

<マウンテンバイクでの登山者>

麓までどんどん下り、駐車場まで戻る。
セドナともこれでお別れだ。異次元世界を感じさせてくれたすばらしい土地だった。また来てみたいと思わせる土地だ。














<セドナを去る>



次はグランドキャニオンまで200キロの道程だ。 1時間ほど普通道を通り、フリーウェイに入る。
ここで又、運転を交替させてもらう。







<グランドキャニオンへ向かう>



走行車線には車はいるが、追い越し車線には全く車はいない。北海道で運転したら、こんな感じなのだろうと思う。






<サイドミラーに車は全く映っていない>





2時間後、グランドキャニオンに入る。
入場料 車1台25ドル。







<入場ゲート>






我々のロッジはきれいだ。もちろん部屋も今までで一番きれいだ。
チェックインの後、グランドキャニオンを見る。

駐車場のすぐ横がグランドキャニオンの展望台になっている。

グランドキャニオンは、すごいスケールだ。
ここから見えるのは、ほんの一部分だけ。
こちら側も向こう側も、平らな台地になっている。
その間に挟まれて、渓谷が大きな口を開けているという感じだ。
<展望台より>


新聞で見た<スカイウォーク>はここから何百キロも離れたところにあるという。
観光客も多い。
弟に言うには、さまざまな国の言語が聞こえるそうだ。まさにインターナショナルな観光地だ。

しばらく歩いて、明朝の日の出の場所を確認に行く。

すばらしい場所を見つけた。明日が楽しみだ。

部屋に戻り、カフェテリアへ食事に行く。ラザニアを食べる。

外に出ると、星がきれいに光っていた。日本でも山奥に行かないと見えない星空だ。

今11時。明日も5時起き。
     おやすみなさい。